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犠牲者追悼碑が完成・除幕/宇部・長生炭鉱水没事故

2013年02月09日 15:13 主要ニュース

朝鮮人強制労働の歴史、後世に

除幕された追悼碑

山口県宇部市西岐波の長生炭鉱水没事故の犠牲者追悼碑が完成し、追悼碑の除幕式と犠牲者追悼集会が2月2日、現地で行われた。除幕式には、県内の同胞や日本人、南朝鮮や日本在住の遺族ら200人以上が参列した。

遺族らの手で祭祀が行われた

日本市民らが建立

宇部市西岐波の長生炭鉱(海底炭鉱)で落盤、水没事故が起こったのが1942年2月3日。そのときの犠牲者は183人にのぼり、そのうち136人は強制労働を強いられていた朝鮮人だった。犠牲者は今も海の底に眠ったままだ。

追悼碑が建てられたのは、長生炭鉱跡から約500m離れた宇部市床波漁港前。追悼碑はコンクリート製の碑(高さ2m、直径70cm)2本と献花台からなる。2本の碑にはそれぞれ「日本人犠牲者」、「強制連行 韓国・朝鮮人犠牲者」と彫られている。献花台には犠牲者の名前が書かれた木札が納められている。

追悼碑建設を中心になって進めてきたのは「長生炭鉱の“水非常”を歴史に刻む会」(以下、「刻む会」)。強制連行された朝鮮人が多く犠牲になった事実を知った日本人が1991年に結成した。活動目的は、①ピーヤ(排水・排気筒)の保存、②追悼碑の建立、③証言、資料の収集と証言集の編纂―の3つである。追悼碑建立は、20年以上にわたり山口県朝鮮人強制連行真相調査団、南朝鮮の遺族会と連携をとりながら進めてきた事業だった。

刻む会や遺族会ではこの間、山口県や宇部市に対して追悼碑建設の要請など交渉を繰り返してきたが、行政からの協力は得られなかった。広く寄付を集めるなどの活動を続け、2009年に用地を取得、追悼碑建立委員会を立ち上げたことにより事業は本格的に動き出し完成にいたった。

除幕式では、除幕・黙祷の後、追悼碑について説明され追悼文が朗読された。続いて、遺族らによる祭祀が執り行われたあと、参列者全員が献花した。

あいさつに立った遺族会の金亨洙会長(72)は、「水没事故から71年経ちようやく追悼碑の前に立つことができて感慨深い。土地の購入から募金に至るまでどれほどの苦労を乗り越えられたのか、われわれ遺族会はよく知っている。追悼碑建立のために奔走してくださった刻む会をはじめとする方々に心からの感謝を述べたい」と謝意を表した。

朗読劇「アボジは海の底」の一場面

遺骨の発掘が願い

除幕式の後、午後には宇部市シルバーふれあいセンターで長生炭鉱水没事故71周年犠牲者追悼集会が開かれた。

追悼集会では刻む会の山口武信代表(81)が開会のあいさつを行った。山口代表はあいさつで追悼碑の完成を喜ぶとともに、「しかし未だ、ピーヤの海の下に沈んだ犠牲者たちを放置している状況が続いている。それは、日本によって引き起こされた戦争によって、国家権力によって、人を差別し分断した『過去の歴史』が今も続いていることの証左にほかならない。いま私たちがなすべきことは、『過去の真実』に向き合い真摯に交流していくことであり、それ以外に平和な未来を作り出していく道はない」と日本政府の責任を追及しながら、追悼碑の完成が新たな運動のスタートであることを強調した。

追悼集会では、遺族20人が紹介されたほか、遺族会から刻む会、建立委員会へ感謝の意を込めた記念の盾が贈られた。また、遺族会の孫鳳秀事務局長が活動報告を行った。特に注目を集めたのは朗読劇「アボジは海の底」(作:広島友好)だった。強制連行と炭鉱での強制労働の実態、水没事故の原因などを事実に基づき脚色化し、一般の日本の市民らが熱演した。遺族らも「アボジたちがどのように犠牲になったのかよくわかった。涙をこらえられなかった」と感想を述べていた。

最後に刻む会の内岡貞雄副代表(65)が今後の課題について、「他の真相究明団体との交流、フィールドワークの充実などを図り若い人たちへ事実を伝えていきたい」と報告した。遺族たちは海底に残されたままの遺体を発掘し故郷に帰すこと、それを日本政府の責任として取り組むことを願っており、大きな課題として残されている。

(琴基徹)

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