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U-20の得点王、目指すはリオ/女子サッカー キム・ウンファ選手

2013年01月18日 12:50 スポーツ 共和国

日本で花咲いたワンダーガール

【平壌発=鄭茂憲】昨夏、日本で開催されたFIFA(国際サッカー連盟)主催のU-20(20歳以下)女子W杯で7得点し、大会得点王に輝いたキム・ウンファ選手(20、FW)が昨年10月、念願だったA代表に初招集された。飛躍の年となった2012年を「充実した1年」だったと振り返ったキム選手は、国際大会でのさらなる活躍を誓っている。目指すは、2016年のブラジル・リオデジャネイロ五輪で朝鮮国旗を頂点に掲げることだ。

小さなゴールハンターの誕生

インタビューを受けるキム選手

12月末、代表チームの国内合宿を終え平壌に戻ったキム選手はスーツに身を包み、まだあどけなさの残る表情で、トップレベルでの手ごたえを口にした。代表召集から2カ月。当時はうれしさと同時に自分のプレーが通用するのかという不安もあったが、「今では自信を持っている」という。

彼女にとって日本での4試合が、サッカー人生のターニングポイントになった。

8月19日、神戸ユニバー記念競技場(兵庫県)で行われたU-20W杯グループリーグ初戦の対ノルウェー戦。前半34分に投入されたキム選手は、後半27分にヘディングで大会初ゴールを決め、得点王への口火を切った。この試合で朝鮮は4-2でヨーロッパの古豪を破ると、続くアルゼンチン(9-0)、カナダ(2-1)にも勝利し、グループリーグを全勝で突破する。

実はキム選手、U-20代表のスターティングメンバーではなかった。「(先発出場した)クォン・ソンファ選手の体調が良くなかったので、前半から途中出場した」(キム選手)。初戦で回ってきたチャンスをしっかりモノにすると、アルゼンチン戦では5得点をあげた。

カナダ戦でのゴールは「自分でも理想とする形」だったという。得意とするドリブルからのシュート。同大会初めてリードを奪われた精神的重圧の中でも迷いはなかった。前半33分、相手陣内でボールを受け取るとドリブルで切り込み、DFに体を寄せられながらも右足を鋭く振り抜き、目の覚めるようなゴールを突き刺した。

U-20での活躍によって届いたA代表への召集オファーに、所属チームの月尾島体育団も沸いた。

FIFA U-20女子W杯2012の対カナダ戦(左がキム選手)

「カテゴリー別の代表にはなれる素質があったが、まさかトップチームまで上り詰めるとは思わなかった」と話すのは、同体育団女子ユースチームでコーチを務めるリ・チュウォルさん(45)。1987年から97年まで代表選手として活躍した、朝鮮女子サッカーの草創期を築いたメンバーの一人だ。

キム選手の生まれは黄海北道松林市。野山で駆け回るのが好きな活発な少女だった。小学校の先生の勧めでサッカーを始めるとすぐに頭角を現した。現在でも159㎝と小柄な彼女は、決してスピードに長けていたわけでもないが、「ボール感覚に優れていた」(リさん)という。14歳のときに月尾島体育団にスカウトされると、ジュニアユースを経ずに、そのままユースチームに昇格した。リさんは「ゴールへの嗅覚と同時に、ゲームを組み立てられる力もある。ボールを持ってからトップスピードに入るまでが早い」と、キム選手を評価する。

U-20のワンダーガールも、A代表ではまだベンチウォーマーだ。でも、「五輪で活躍するのが自分の最大の目標。必ずその舞台に立ってみせる」。

いつかまた在日同胞の前で

アルゼンチン戦でのゴール量産には「理由」がある。相手が実力的に格下だったことも確かだが、「同胞たちの熱狂的な声援」が彼女の背中を押した。

「ゴールを決めるたびに、同胞たちが割れんばかりの歓声をあげて喜んでくれた。それがうれしくて、あの興奮をまた感じたくて、ゴールを決めることだけを考えていた」。ゴールネットにボールが吸い込まれる快感は、「サッカーをしていて一番好きな瞬間」(キム選手)だが、日本で感じたそれは、これまでの比ではなかったという。スタジアムにこだまする同胞たちの声は、今も耳に残る。

昨年8月16日に神戸市内で行われた朝鮮選手団を歓迎する集い(手前がキム選手)

平壌から北京を経て空路、関西国際空港に緊張の中に降り立ったのは8月16日だった。昨今の最悪の朝・日関係、メディアにミスリードされた多くの日本人が自分たちを歓迎していないことは、若い彼女たちも知っていた。そんな中で、初めて在日同胞に接した。

「日本に行く前は正直、同胞たちがあれほど温かく迎えてくれることを想像できなかった。異国で生まれ育った同胞たちが、強い民族心を持って生きている事実に間近で触れて感動を覚えた。彼らがかけてくれる言葉の一つひとつが、どれほど力と勇気をくれたことか。同胞たちと接しながら、朝鮮民族としてのプライドを改めて感じた」。在日同胞のことを話し始めると、自然と笑みがこぼれる。思い出は山ほどある。

宿所に届けられるキムチをはじめとした朝鮮料理の数々。「私たちのために、オモニたちが真心込めて作ってくれたことが、何にもまして最高のスパイスだった」。練習場では朝鮮学校で学ぶ「サッカー少女」とも一緒に汗を流した。「もちろん技術的にはまだまだ。でも、サッカーが大好きだという気持ち、上を目指そうとする強い意志が一番大切だと思う」。日本で暮らすかわいい妹たちの頑張りは、今でもキム選手の励みになっているという。

「彼らのために勝ちたい」と臨んだ準々決勝。延長の末に敗れた米国戦(1-2)の悔しさは、あれ以来忘れたことがない。「同胞たちに元気を与えたくて懸命にプレーした。でも一歩及ばなかった。あれほど温かく応援してくれた同胞たちを落胆させてしまったのではないかと、悔しくて悔しくて…。同胞たちの姿を見るだけで涙が出た」。

異国で感じた同胞たちの愛情、そして敗戦の悔しさは、代表でのレギュラー争いを演じる彼女の新たな原動力になっている。だからこそ今度は、A代表として在日同胞たちの前でプレーすることを夢見る。「いつかまた在日同胞たちの前で試合をして、同胞たちの前でゴールを決めたい。その日が訪れることを信じている」。

(朝鮮新報)

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