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「高麗60SC」と「広島高麗」が4度目の交流試合、シニアサッカーで広がる同胞の輪

2012年11月06日 13:44 スポーツ

日本各地の50~60代の同胞を中心に構成されるサッカークラブ「高麗60SC」と広島県に住む50~60代の同胞たちで構成される「広島高麗」の交流試合が10月20、21の両日、広島青少年文化センター・サッカー場で行われた。参加者らは在日朝鮮蹴球団と地方蹴球団で活躍した往年の名選手や、朝高、朝大などでサッカーを楽しんだ懐かしの顔ぶれとの再開を喜び、かつてのようにボールを追いかけ、汗を流した。

4度目の交流を楽しんだ参加者たち。来年は神奈川県での開催を目指す

朝・日サッカーマンの交流も

2009年に広島で始まった同交流会は、その後、東京(2010年)、広島(2011年)と場所を変えながら開催されてきた。4度目の交流となった今回は、関係者たちは20日の夜に親睦会を開いた後、21日に日本のサッカーチームである広島四十雀C50、C60と交流試合を行い、「高麗60」と「広島高麗」がそれぞれ対戦した。

「広島高麗」(青・黒)と広島四十雀(赤)の試合

競技はまず、広島四十雀(しじゅうがら)の50代と60代の2つのチームを相手に、「高麗60」と「広島高麗」が交互に対戦する形で行われた。 試合の前には「高麗60」と「広島高麗」、広島四十雀が互いに記念品を交換しあった。

試合ではかつての名選手たちが、年齢を感じさせない力強いプレーを披露、観客を魅了した。とくに、「高麗60」で出場した呉泰栄さん(58、チーム「高麗50」会長)は、ゴールを量産した。また、最高齢の金明植さん(74、「高麗60」代表)は、2人に囲まれながらも、軽い身のこなしで華麗に相手を交わすなど高い技術を披露した。観客は選手たちの昔と変わらぬプレーに惜しみない拍手を送った。

続いて、「高麗60」と「広島高麗」が対戦した。両チームは少々バテ気味だったが、互いに意地を見せた。試合は引き分け。力を出し切った選手たちは、満足気な様子だった。

ゴールを目指し、果敢に攻める「高麗60」の選手たち

九州から駆けつけた廉吉星さん(54)は「在日同胞サッカーの土台を築きあげた60、70代の方々のプレーを見る度にすごいエネルギーを感じる。またこういう機会があれば、ぜひ足を運びたい」と話した。

広島四十雀と「広島高麗」は、毎週のように試合を組むなど、交流を深めている。広島四十雀のメンバーは、かつての在日朝鮮蹴球団や地方蹴球団の選手と一緒にプレーできることを喜んだ。

試合に出場した、広島四十雀の信広晃さん(広島県サッカー協会シニア委員会事務局長)は、「若い頃、社会人リーグに出場していた。広島朝鮮蹴球団とは何度も試合したので、あの頃から広島高麗の呂正弘さんとは顔なじみだった。呂さんはよく走るし上手かった。また今回『高麗50』で活躍していた人たちも参戦していたが、東京は本当に強い。在日朝鮮蹴球団の強さは伝説的に言い伝えられてきた」と微笑んだ。

初日の親睦会に参加し、2日目の試合も参観した広島四十雀の小城得達会長(69)は、「自分が高校生の頃、東京朝高と交流試合をしたことがあるが、非常に上手だったことを覚えている。それから在日の方々とは長く付き合いを重ねているが、何年たっても交流試合ができるということは大変うれしいこと」と語った。

後世のための道づくり

日本各地のシニアサッカーを愛する同胞たちは、次世代を担う子どもたちのサッカーに深い関心を寄せている。この期間、食事や試合の最中でも子供たちの近況を話し合う姿がしばしば見られた。

2人に囲まれてもボールを奪われない「高麗60」の金明殖代表(白)。写真は「高麗60」対「広島高麗」

「広島高麗」のメンバーの中には、孫の世代の同胞サッカー界を盛り上げるため、広島朝鮮高級学校で毎年行われている日朝親善高校サッカー大会「ピョンファ杯」の運営のため同校サッカー部後援会に属し、活動している人々もたくさんいる。また、交流会の行われる1週間前(10月14日)には朝鮮学校初級部の児童から、中級部、高級部、朝青、青商会世代、シニアまでの幅広い世代がサッカーを楽しむ「朝・日親善サッカーフェスティバル」も開催した。「広島高麗」の金永寿さん(60、在日本朝鮮人広島県体育協会会長)は「私の家族は私、息子、孫の3世代がサッカーをしている。いま日本のサッカーは発展して、子どもたちのレベルも上がっている。そんな中、我々が孫世代のために出来ることをしたいと考えている」と語った。

「高麗60」の玄昇和さん(68)は、日本のサッカーを自分たちが引っ張ってきたという在日同胞たちの自負を語りながら、「元気にサッカーをやっているわれわれの姿を(広島四十雀などのチームをはじめとして)日本の人々が必ずどこかで見ている。私が考えるのは、サッカーだけを楽しむのではなくて、若い世代の手本になるように活動しなくてはならないということだ。そのように考えてボールを蹴ったら、また人生が楽しくなる」と微笑んだ。

「高麗60」の金明植代表は、「在日同胞の中で、もはや私より上の年代でボールを蹴る人はいない。現在、自分の属する全国の70歳以上のシニアが活動するサッカーチームでは、試合や大会があるとなれば100人ほどの人が集まる。同胞社会においてシニアサッカーが盛り上がり、私たちが昔のように歴史を作れば、それに続いて孫たちもついてくるだろう。また一緒に、みんなで歴史を作っていこう」と語った。

交流会の呼びかけ人の一人である広島高麗の宋徳竜代表(広島朝高サッカー部後援会名誉会長)は、「年々、参加者も増えて雰囲気も良くなっている。広島高麗ではこの大会に合わせて日々練習を重ねている。昔を思い出してサッカーをすること、共に集まってサッカーをすることが、学校の活性化にもつながる。来年は、横浜で開催したい。関東の人々も大勢呼んで広く交流したい」と語った。

最終日、温泉で汗を流した参加者たちは、固い握手を交わしながら再会を約束した。

(李炯辰)

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