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〈軍事独裁の闇 – 今なお引き継がれる負の遺産 3〉朝鮮半島の永久分断目論む

米日の後押し 「二つの朝鮮」政策に狂奔

「北の脅威」に固執

1960年に起こった4.19人民蜂起で、南朝鮮の人民は「外勢依存は亡国の道」「統一のみが生きる道だ」のスローガンを掲げて粘り強く闘い、李承晩を退陣に追い込んだ。

1961年5月には、ついに南北学生会談が開かれることになった。

しかし、朴正熙は米国の陰謀のもと、民主化と祖国統一を求める社会的なうねりを軍事クーデターで捻りつぶした。

1972年7月、南北共同声明が発表され、自主、平和統一、民族大団結の三大原則に基づいて祖国統一を成し遂げることで合意し、南北対話が始まった。しかしそれから一年も経たずして73年6月、朴正熙は「南北国連同時加盟」と「クロス承認」(中ソが朴政権を承認すれば米日も北を承認するというもの)を内容とする「特別声明」を発表。南北の永久分断を目論む「二つの朝鮮」政策を公然と宣布し、南北対話を破綻させた。

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