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「子どもたちが愛する祖国を実感できた」愛知朝高生たちと共に訪朝して-山本かほり

2012年10月25日 12:06 主要ニュース 文化・歴史

なぜ、こんなに明るいのか

「明るくていい子たちだなぁ」非常に陳腐な言い方だが、愛知朝鮮中高級学校(以下、愛知中高)の生徒たちに対する第一印象だ。そして、この印象は今も変わらない。通常の学校行事はもちろん、無償化適用を求める集会や街宣でも、そして、授業中でも、生徒たちは「明るく」そして「熱い」。

平壌の学校を訪ねて現地の子どもたちと記念写真

 毎週1回の交流

このような生徒たちの姿は、これまでの研究生活を通じて多くの在日朝鮮人の方々に出会ってきた私にも、新鮮にうつった。「この子たちはなぜこんなに明るいのだろうか?」

この素朴な(非学問的な)問いの答えを探したく、週一回、愛知中高にお邪魔し、授業中や休み時間、放課後の生徒たちの日常にふれる機会をいただいている。その中で何となく分かり始めたことは、生徒たちの「明るさ」や「熱さ」の背景には、生徒たちが体系的な民族教育を受けながら、朝鮮の言語、文化、歴史を学び、自分のルーツを明確に確認し、朝鮮人として日本社会で堂々と生きていく力をつけていることがある。そして、生徒たちはすがすがしいほど、すっきり、朝鮮人として生きている、それは「何か確実なものに守られている」安心感(すなわち朝鮮学校そのもの)の中で培われたものなのだと感じている。

平壌で案内人と共に記念写真を撮る筆者

もう一つ、実感をともなって分かり始めたことは、朝鮮学校と朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)との関係についてだ。朝鮮学校草創期からの歴史に関する知識は持っていたが、それが学校や生徒たちにとってどのような意味を持つのかはよくわかっていなかった。

したがって、朝鮮への「祖国訪問」から戻ってきた生徒たちの変化には少し戸惑いを感じた。生徒たちの心はまだ平壌ーー私が全くイメージできないところーーにあるようで、生徒たちとの距離感を感じたのだ。そのギャップをうめたくて、生徒たちに色々聞いてみたがわからない。「行ってみないとわからないですよ。」一人の男子生徒に言われて、ハッと思った。私自身、日本で報道される朝鮮のイメージに縛られており、朝鮮学校にとっての朝鮮=「ウリナラ」が理解できないのだと。ならば、私も行ってみたい、朝鮮学校にとってのウリナラの中身を知りたい、できることならば、朝高生と一緒に朝鮮へ行きたいと思い、その希望を口にし続けた。

そして、昨年10月の初訪朝を経て、今年6月、愛知朝高の祖国訪問期間に2回目の訪朝をすることができた。愛知朝高、朝鮮の海外同胞局や対文協の指導員に無理を聞いていただき、滞在中、4回ほど朝高生とともに行動ができた。限られた時間ではあったが、「ウリナラ」での生徒たちの姿をこの目で見ることができたのは大きな収穫であった。

ホテルでの自由時間や食事時間はいつもと変わらないようにみえた生徒たちだが、参観地や平壌の姉妹校では今まで見たことがないような真剣な表情をしていた。そして、生徒たちが平壌で温かく歓迎され、それまで教科書だけでみた朝鮮を、自分たちの五感すべてを働かせて感じているのだということが、私にもはっきりと伝わってきた。昨年の「戸惑い」や「距離感」が少しだけ解消されたような気がした。

愛知中高の中級部一年のクラスで、日本語で話したとき「いたずら坊主」から「朝鮮語100%」と茶目っ気たっぷりなダメ出しを受けた筆者

 「愛おしい思い出」

訪朝後、多くの朝鮮学校関係者から印象を聞かれた。限られた期間の中で、私が見て、出会った人は限られている。しかし、自分でも意外なほど、朝鮮や朝鮮の人々に親近感を感じたというのが率直な感想だ。実は、もっともっと違和感を感じると思っていたのだが、人が暮らすところに大差はないのだと改めて思った次第だ。

しかし、朝鮮は日本人の私が気軽に行ける場所ではないことも事実だ。したがって、滞在中に、現地の人たちと交わす挨拶、軽い冗談、たわいのない雑談の一つ一つが愛おしい思い出となった。そして、訪朝も2回目、3回目(8月にも「日朝友好学生・教員訪朝団」の一員として訪朝)になると、参観地、ホテル、レストラン、そして受け入れ機関の対文協の方々など知った顔が増え、かれらとの再会も訪朝の楽しみのひとつになりつつある。

今後も機会があれば、訪朝を重ね、少しでも朝鮮への理解を深めたいと考えているし、そのことが、より深く朝鮮学校を理解することにつながるだろうと思っている。

(愛知県立大学教員、朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知事務局長)

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