私は大阪・堺で生まれ育ち、堺朝鮮初級学校、南大阪朝鮮中級学校、大阪朝鮮高級学校を経て、京都の大学に進学し、2001年に就職で東京に出てきた。

洪愛舜さん
大学時代は留学同で活発に活動していたが、就職してからは活動から遠ざかっていた。しかし、社会人になって6年ほどがたったところで、いろいろと思うところあって再び運動に携わりたいと思った。留学同時代からの先輩の誘いもあって、在日朝鮮人人権協会の会員となり、さまざまな活動を始めた。一番力を入れて取り組んだのは、民族学校を守るための活動だった。
その後、結婚。2011年にわが子が生まれた。その時、思ったのは、今まではハッキョに対して「外から支援する人」だったが、これからは「当事者」なのだと。当事者としてハッキョを守る運動として自分にできること、すべきことは何かと考えたとき、私が大事だと思ったのは、より多くのわが子たち(ウリアイドゥル)をハッキョに通わせるための活動だった。そのために自分に何ができるかと思っていた時、ちょうど私が居住する城南支部でいろいろな人と出会った。その時に聞いたのが、女性同盟城南支部で「チャララ会」(学齢前オリニとオンマの会)があったけど、今は事情があって休眠状態になっている、と聞いた。
大阪から出てきて以来、居住地域ではほとんど活動をしてこなかったので、周りには知り合いはほとんどいなかった。私のような環境で、4歳になるからウリ幼稚園、学校に行く年齢だからウリハッキョ、という判断は、きっとできないと思う。でも、子どもがもっと小さいころから地域で同胞同士交流があって、ハッキョとも関わりがあれば、自然とウリ幼稚園、ウリハッキョに通わせたくなるのでは、と思い、この「チャララ会」を盛り上げていくことが、私にできるもっとも効果のある活動だと思った。
以来、支部委員長をはじめ先輩のオモニたちと力を合わせて、昨年11月から月に1回か2か月に1回、城南地域に住む学齢前オリニとオンマが集まる「チャララ会」の場を企画してきた。
もともと城南地域に住んでいる人、すでに上の子をハッキョに通わせている人はもちろん、私のように地方から出てきて、周りに知り合いが誰もいないような人でも、安心して気楽に参加してもらえるように、私たち世代のオモニたちが興味を持つこと、楽しんでもらえるような企画を考えて、これまでプロのインストラクターによるピラティスのレッスンや、絵本編集者による絵本の読み聞かせイベントなどを行ってきた。
城南地域は、同胞が集住する地区はあまりなく、どちらかというとあちこちに点在しているので、今のところ人数はあまり多くはない。しかし、この地域には若い人が新しく引っ越してくる地域でもある。だから、新しい人を見つけられたらと思っている。「チャララ会」は、今は少人数ではあるが、ハッキョの行事や支部のイベントとも連携して、これからも地域に根づいて地道に活動を続けていくことで、自然とウリハッキョに子どもを送りたいな、と思えるような環境をつくっていけたら、と思う。
一方で、これでいいのかな、と思うこともある。女性同盟であるなら、「子どもがいること」や「結婚していること」が前提であるというのは、ちょっと違うんじゃないかなぁと思う。生き方が多様化している今の時代、30代で結婚していない人、子どもがいない人も多い。そういう人をとりこぼしてしまっているのだったら、これほどもったいないことはない。既婚未婚、子持ち子なしを問わず、すべての同胞女性が参加し、その力を発揮できるような環境を作っていかなければればならないのでは、と思う。
しかし、そうやって考えていくと、では、なんでそもそも、「総聯」「女性同盟」で、男女で分かれて、あくまでも本流は男性たちの「総聯」みたいになってるの? という疑問にたどり着く。女性が大統領になる時代に、これから先もこのままでいいのかな、と。
でも、だからと言って、批判するだけで何もしない、というのが一番嫌なので、私は、今までの在日朝鮮人の歴史の中で諸先輩方が闘ってきたこと、守ってきたことを学ばせてもらいながら、さらに、この先ますます発展していけるようにするためには、自分は何をすればいいのか、を考えていき、行動していきたいと思っている。
今までと同じことだけをしていてもダメだし、かといって、新しいことだけでもダメだと思う。今までの活動に敬意を払いながら、これからの時代を切り開いていける活動をする。代を継いで活動していく、というのは、そういうことではないか、と思う。
まだまだ若輩者でなんの力もない私だが、これからもがんばっていきたい。私の目標は、ハッキョでの行事で朝鮮民謡が流れたら真っ先に踊り出すハルモニになることだ。そんな未来のために、今自分ができること、やりたいこと、やらないといけないことを、ここ女性同盟東京の力も借りて、がんばっていこうと思う。
(女性同盟東京城南支部)