高麗末期、王朝は官窯であった全羅道康津の磁器所を支えきれず、1370年代には解体してしまう。陶工たちは生活の道を求めて全国に散って、習い覚えた高麗青磁を作ってきた手法によって、陶磁器製作のための良質の胎土を探し出し、釉薬も自ら工夫して作り出して、各地の人々が要求する食器や生活必需品を生産していくのである。
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