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〈歴史×状況×言葉 20〉金史良(下)/虚妄の「光」求める「在日」知識人映し出し

佐藤春夫は「光の中に」について「私小説のうちに民族の悲痛な運命を存分に織り込んだ」とし、芥川賞候補になったことに「何やら非常に愉快で幸福に似たような気持でさえあった」と述べた。しかし金史良自身は、「母への手紙」にて「これでいいだらうか、これでいいだらうか」「嘘だ、まだまだ自分は嘘を云ってゐるんだ」と自問し、「もっとほんとうのことを書かねば」と自省の言葉を書いた。

作品が示した「光」とは何だったのか? 朝鮮人を過剰に嫌悪する混血児山田春雄が、いつか色とりどりの光の舞台上で舞踊家として踊る姿を想像する「私=南」に向かって、最後に「ミナミ」と呼ばず「南先生でしょう?」と親しげに呼びかけてきたことが「光」なのか? 他方春雄と母貞順との間に横たわる民族、血統をめぐる桎梏も、春雄を日本人として批判し南の民族的な主体性を追求する役割を担った自動車助手の青年李との葛藤も、それ以上深く掘り下げられない。作中後半にて免許状が下り当時としてはある種「成功者」と言える一人前の運転手となった李のうれしそうな姿もまた「光」だというのだろうか?

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