「とにかく小学校6年の間に引越しを12回以上。だから、姉と2人で転校して、同級生たちに朝鮮人とわかる前にまた転校するから、いじめられる間もなかった」と幼い頃を振り返る鄭日鮮さん。日鮮さんが生まれた1930年頃、慶尚南道咸陽郡馬川出身のアボジは紀勢本線(三重県・亀山駅~和歌山駅)の難工事に従事していた。
「駅が完成するとまた次へ。紀勢線の工事に沿って転々とした」。オモニも貧しい暮らしを助けようと必死で働いた。「手袋もなく、石をハンマーで割って、玉砂利を作る仕事。炎天下での力仕事で、オモニはチマ・チョゴリを着て、頭は姉さん被り。終日働いてもいくらにもならなかった」。幼い姉妹はオモニを懸命に手伝ったという。「困窮する暮らしの中で、オモニは餅やムッ(蕎麦粉を練りこんだ伝統食)を売りに出るようになった。遅くまで帰らないオモニを夜道に立って待ち続けていると、闇夜に白いチョゴリが浮きでて…。それまでの心細さがパッと喜びに変わった」。
「その頃は米びつの中であけびを熟させるのが習慣。ある日、米びつを開けてみると米が一粒もなくて」
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