女性同盟神奈川・南武支部顧問の任栄仙さん(76)は、1948年4月に東京朝鮮中級学校に入学した頃の強烈な思い出が忘れられない。
「校舎は旧日本軍の火薬庫跡に建てられたもの。当時は小山のような土堤がグラウンドを占拠していて、毎日、シャベルやスコップを担いで、その山を削って平らにするのが生徒や先生の日課だった」
川崎市高津の自宅から約2時間かけての通学だったが、それでも楽しくて楽しくて仕方がなかったという。
「朝鮮人だけで学ぶ喜び、他に神経を使わなくてもいい。友だちと山手線でぐるぐる回っていつまでもおしゃべりして。敗戦から間もない東京はどこも焼野原。池袋から赤羽線沿いに建ち始めた区営住宅がモダンで、うらやましかった」
みんなが困窮していた時代。「生徒たちはアルバイトで田舎に米を買出しに行って、上野のアメ横で荷を下ろして、登校してきた。お腹を空かしていた男子に女の子は弁当を分けたりもした」。
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