葛野大堰は、現在の渡月橋の上流に、洪水の調整、灌漑用水の確保のために、5世紀頃に秦氏集団によって造られた。今も川底には当時の段差が残っている。また、少し下流の松尾大社付近の松室遺跡から、幅約60メートルの大溝が発見され、葛野大堰に関連した放水路だったと推測されている。
古来、保津峡谷を抜けて京都盆地の西北に流れる桂川は、嵯峨野と嵐山の狭い間からの流れが急で、梅雨や秋の台風時期にはたびたび大洪水を引き起こし、流路が大きく変わる、いわゆる「暴れ川」であった。しかしまた、この流域は京都盆地でもっとも肥沃な土地でもあった。
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