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〈渡来文化・その美と造形 6〉法隆寺の建築様式

旧法隆寺若草伽藍は7世紀初に建立されたようであるが、670年焼失した。

今の法隆寺の再建がほぼ成ったのは8世紀初といわれる。

ところで、「上宮聖徳太子伝補闕記」によれば、「旧法隆寺の全焼後、人々は新しい寺を建てる土地を決定できなかった。そこで、百済の入師に人々を統率させて京都太秦に蜂岡寺(今の広隆寺)を、川内(河内=大阪)に高井寺を造らせ、また百済の聞師・圓明・下氷君雑物らの3人に三井寺(今の法輪寺、法隆寺のやや北にある)を造らせた」とある。つまり、焼失した法隆寺の代替寺のようにいくつか寺を百済人の力を借りて建てた、ということである。

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