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〈遺骨は叫ぶ 29〉宮城・多賀城海軍工廠

冬でも裸同然で働かされ、多くの犠牲者 橋桁作るとき朝鮮人を人柱に

多賀城海軍工廠の爆弾工場跡。陸自多賀城駐屯地はいまでも倉庫として使っている

多賀城海軍工廠の爆弾工場跡。陸自多賀城駐屯地はいまでも倉庫として使っている

昭和初期の宮城県多賀城村(現多賀城市)は、村の面積の約半分を田や畑が占める農村であった。だが、1941年にアジア・太平洋戦争が始まると、日本海軍は軍需品の生産を上げるため国内の海軍工廠の増設をはじめた。東北地方には官設の軍需工場がなかったので、岩手県や山形県も候補地に挙がったが、塩釜港に近く、村内を宮城電鉄と塩釜線(現JR仙石線)が走る多賀城村に決まった。

この計画と工事は、横須賀海軍建築部が行い、軍の秘密事項だったので新聞報道はなく、記録や資料もほとんど残されていない。

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