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〈人物で見る朝鮮科学史 73〉実学の時代(4)

モダンな城を築いた丁若鏞

「華城城役儀軌」の長安門内図

「華城城役儀軌」の長安門内図

現在、朝鮮半島には7つの世界遺産があるが、なかでも異彩を放つのは京畿道水原にある華城である。モダンな感じの独特な建築様式の城であるが、その設計・施工で大きな役割を果たした人、それが実学の大成者といわれる茶山・丁若鏞である。

この時、丁若鏞はまだ30歳の若さであったが、彼にその大事業を任せたのは英祖とともに朝鮮王朝中興の名君といわれる22代・正祖王である。正祖の父である思悼世子が非業の死(餓死)を遂げたことはよく知られている。当時、王の反対勢力である両班たちが思悼世子の非行を責め、それに対して英祖も息子に厳しい処置を取らざるをえなかった。正祖が父を死に追いやった勢力を排除しようとしたのは当然で、王権確立と政治改革のために水原への遷都を目指した。そこで、正祖は事前に丁若鏞に建築計画書といえる「城説」を提出させ、それにのっとって築城を進めたのである。

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