
マテオ・リッチ様式の世界地図
実学形成の重要な要因の一つは西洋近代科学技術の伝来である。朝鮮に西洋に関する情報が本格的に伝え始められたのは朝鮮後期になってからのことで、17世紀初、実学の先駆者といわれる李 光は中国で出版された西洋の自然科学書を研究し、その著書「芝峰類説」で西洋文物について言及している。なかでも、1603年に李光庭と権憘が北京からマテオ・リッチの「神輿万国全図」を持ち込んだという記述は、地球説の最初の伝来記録として科学史的に価値あるものである。というのも、地球説の導入は伝統的宇宙観の変革を促すものであったからである。
本格的な西洋知識の伝来としては、1641年に鄭斗源が中国より火砲、千里鏡(望遠鏡)、自鳴鐘(時計)などの機械とともに天文学書を持ち込んだことがよく知られている。ちなみに子どもたちが目覚まし時計のことを「チャミョンジョン」とよぶが、それはこの時以来の「自鳴鐘」のハングル読みが今も続いているのである。また、1644年には仁祖の世子・昭顕が北京でアダム・シャールと会見し、天文書、天球儀などを贈られている。さらに、同じ年、観象監の責任者であった金 は西洋の天文暦法である「時憲暦」の導入を主張したが、それは国家レベルで西洋科学知識の価値を認める象徴的な出来事であった。
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