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〈遺骨は叫ぶ 19〉岡山・三井造船玉野造船所

暴行、拘束、病気、ケガで多くの死者

現在の三井造船玉野造船所

現在の三井造船玉野造船所

岡山県南部の宇野港(現玉野市)は、明治中期までは塩田地帯だったが、築港が始まり、1910年に宇野線が開通すると同時に高松との間に宇高連絡船が通ると、交通上の要点となった。さらに西部、三井造船玉野造船所が造られ、太平洋戦争に突入するとともに繁多を極めていった。そして三井造船玉野造船所は、岡山県内最大の朝鮮人連行者となるのだが、「玉野市の三井造船には朝鮮人労働者、約1500人」(「岡山県史」第12巻近代Ⅲ)が連行されたというが、その倍も来ている。

玉野造船所への朝鮮人連行者の第1次、1500人は、1944年9月27日に、第2次、2000人は、10月28日に、三井造船所グラウンドで、それぞれ入所式が行われた。「生産増強に頼もしい援軍が来たものと期待する」と、会社側では迎え、朝鮮人代表は「大和一致奮励努力し、以て応徴戦士の本文を全うせん」と応えている。会社側で書いた「宣誓文」を読まされたのだ。

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