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〈朝鮮史から民族を考える 24〉戦時下日帝の朝鮮農村収奪政策(下)

民族的矛盾深め、日帝の滅亡促す

水豊ダム建設現場に駆り出された朝鮮人労働者

水豊ダム建設現場に駆り出された朝鮮人労働者

農村労働力構成の変化

戦時下における日帝の朝鮮農業政策は、農村労働力の質量的低下をもたらし、農業生産力を急激に減退させることにより、朝鮮農村の貧窮を極限に至らしめた。

南朝鮮の6個村落980戸5285人を対象に1944年2月から3月にかけて、農村人口の移動常態と農家労働力構成の変化を調査した報告書が残っている。これによると、以下のことがわかる。

134年以降10年間の男子流出人口301人のうち、生産年齢層(16~45歳)は284人で圧倒的多数を占める2経営規模別に見ると、規模が小さいほど現住人口と比べた流出人口の比率は高くなっている3生産年齢層の農家現住人口に比べ農家流出人口は28.7%と高率である4現住男子生産年齢層人口は現住女子生産年齢層人口よりも絶対的、相対的に少ない540年「国勢調査」と44年本調査とを比べると、現住総人口、女子人口、女子生産年齢層は増加しているが、男子人口、男子生産年齢層は絶対的、相対的に減少している。

本調査の対象となった農村部落の労働力構成の変化は全国的な傾向でもあったと考えられる。全国人口の年齢別構成を見ると25年から44年までの間、15歳未満は39.6%から43.2%へと比率が高くなり、生産年齢層(15~59歳)は54.0%から50.4%へと低くなっている。また、全国的な職業別人口構成を見ると、農業人口は39年から42年までの間、72.5%から66.1%へと比率が低くなっている。その原因は男子農業人口が北部の鉱工業地や海外などへ強制徴発されたことである。このことは南北の朝鮮の男女比率にも反映している。39年には全国、南部、北部のすべてで男子が上回り、また地域間の比率にもそれほど差がない。しかし、44年には南部の男子が急激に減り、女子よりも大幅に少なくなっている。また男子の南北間の比率でも南部が極端に低い。

このような傾向は、農業生産において深刻な労働力不足を招いた。41年春、総督府の調査によれば、全国の農村で約48万人の労働力が不足したそうである。当時、朝鮮人強制徴発を担当した元「労務報国」動員部長はその手記で、43年ごろには南朝鮮地方で20歳前後の若者はほとんどいなかったと告白している。

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