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〈朝鮮史から民族を考える 21〉植民地期の朝鮮人史学者たち(上)

「民族史学」の創始者、申采浩

申采浩

申采浩

朝鮮人不在の近代朝鮮史学史

従来、長年にわたって、朝鮮近代歴史学の成立は、植民地期の日本人研究者によってなされたと考えられてきた。いわば、朝鮮人不在の近代朝鮮史学の形成ということである。日本の敗戦後、一時の中断をはさんで、日本人による朝鮮史研究の再開は、朝鮮学会(50年)、朝鮮史研究会(59年)の結成によってなされ、植民地期の朝鮮史研究を批判的に継承することを掲げたが、そこでの検討対象は日本人研究者のことであり、朝鮮人研究者は視野の外におかれた。

一方、解放後の朝鮮での事情はどうであったのか。北では植民地史観の残滓一掃が基本課題として示され、新しい見地に基づいた歴史研究が始まったが、進歩的な史学者がほとんど越北してしまった南では、保守的な史学者によりほぼ従来の植民地史学がそのまま踏襲されていた。しかし、北であれ南であれ、植民地期の歴史研究の史学史的検討といえば、日本人による歴史研究だけが批判的対象となり、朝鮮人による研究はとりたてて顧みられることがなかった。わずかに、60年代初めの朝鮮で、申采浩の歴史研究が検討されたぐらいであった。

言うならば、解放後(戦後)の朝鮮や日本において、植民地期の史学史的検討の対象から朝鮮人研究者は除かれていたのである。

しかし、4.19人民蜂起以降、南朝鮮の歴史学界において現実認識に裏うちされた歴史学が求められるようになっていく。その契機となったのが、「思想界」の特集「韓国史を見る眼」(63年2月号)であった。そこでは植民地史観を克服する新しい「民族史学」の樹立が提唱され、その歴史的淵源を植民地期の朝鮮人史学者による朝鮮史研究に求めるようになった。これによって従来の史学史的検討は、ややもすれば日本人の朝鮮史研究だけに偏っていた傾向に対して、朝鮮人の朝鮮史研究をも問題とする必要性が提起され、こうして総体としての両者の把握を通しての朝鮮史の主体的な把握が可能となった。

白南雲

白南雲

朝鮮人史学者の「三つの潮流」論

現在の通説によると、植民地期の朝鮮人史学者は史学史的にほぼ「三つの潮流」に分けることができ、それらは解放前後期に「新民族主義史学」に集大成されたといわれている。

-「三つの潮流」

  1. 「民族史学」。20年代前半期以前は申采浩、朴殷植、それ以降は安在鴻、鄭寅普、文一平らが属する。その特徴は民族独立のための歴史研究であったことと、その源泉を朝鮮独自なものに求めようとしたことにあった。とくに「民族史学」の創始者であった申采浩の歴史学は、朝鮮における近代歴史学の成立そのものである。
  2. 「社会経済史学」。20年代後半以降の白南雲、李清源らがこれに属し、唯物史観(マルクス主義歴史学)に基づいている。とくに白南雲は、朝鮮史の停滞性論(=朝鮮社会特殊論)を否定し、「世界史の普遍的発展段階論」を朝鮮史にはじめて適用した。このような意味において彼の歴史研究は、「民族史学」に相通ずるものをもっていたといえる。
  3. 「実証史学」。20年代後半以降の李丙燾、金庠基、李相佰らが属する潮流である。一定の史観をもつことを意識的に忌避したところに特徴がある。学問は現実政治を超越すると考えて個別的な実証研究に力を注いだが、結局のところ〝事件叙述的な歴史学〟にとどまってしまった。彼らが中心となって、34年には震檀学会(機関誌「震檀学報」)が組織された。

-「新民族主義史学」

解放前後期に孫晋泰らにより提唱され、「朝鮮民族史概論」(1948年)として結実する。民族の団結と、またそのための均等が何よりも必要であるという切実な現在的関心の下に、民族を観念的なものではなく、より具体的なものとして把握しようとするところから、民族内部の階級的親和と団結を主張している点に何よりも特徴がある。

申采浩の墓地(忠清北道)

申采浩の墓地(忠清北道)

争点

しかし、研究の具体的な面においてはどうかというと以下のような異なる論点が提起される。

  1. 「実証史学」の評価に関する問題。姜萬吉らは「民族史学」と「社会経済史学」は反植民地史学であるが、「実証史学」は日本人官学者の学風を踏襲した植民地史学の亜流であると断じている。一方、李基白らは「実証史学」は事件叙述的な歴史学であるが、その実証研究は日本人官学者と学問的に対決しようとした民族的な行為であるとしている。
  2. 「新民族主義史学」の中心にいた孫晋泰の評価の問題。植民地期の彼を「民族史学」に属する史学者と見る観点から「新民族主義史学」は「民族史学」と「社会経済史学」を継承したものと考えられ(金容燮、姜萬吉ら)、また、「実証史学」に属する史学者と見る観点からは「新民族主義史学」は「実証史学」を中心に形成されたと考えられている(李基白)。
  3. 震檀学会と朝鮮学運動の評価問題である。南朝鮮では異なる評価がなされているが、日本では両者を統一戦線的な性格をもつものとして評価されている。例えば、震檀学会は、史学史的には三つの学派のうち、「実証史学」「民族史学」の二つが合流した組織であり、後に朝鮮学界において指導的地位にいた金錫亨、朴時亨もこの学会を通じて学界での出発をなしたことから、幅広い研究者の連合戦線的な性格をもっており(宮嶋博史)、朝鮮学運動も、三つの学派による最後の統一戦線的な学問運動である(鶴園裕)と考えられている。

これらの論点については次回で検討したい。

(康成銀、朝鮮大学校教授)

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