
申采浩
従来、長年にわたって、朝鮮近代歴史学の成立は、植民地期の日本人研究者によってなされたと考えられてきた。いわば、朝鮮人不在の近代朝鮮史学の形成ということである。日本の敗戦後、一時の中断をはさんで、日本人による朝鮮史研究の再開は、朝鮮学会(50年)、朝鮮史研究会(59年)の結成によってなされ、植民地期の朝鮮史研究を批判的に継承することを掲げたが、そこでの検討対象は日本人研究者のことであり、朝鮮人研究者は視野の外におかれた。
一方、解放後の朝鮮での事情はどうであったのか。北では植民地史観の残滓一掃が基本課題として示され、新しい見地に基づいた歴史研究が始まったが、進歩的な史学者がほとんど越北してしまった南では、保守的な史学者によりほぼ従来の植民地史学がそのまま踏襲されていた。しかし、北であれ南であれ、植民地期の歴史研究の史学史的検討といえば、日本人による歴史研究だけが批判的対象となり、朝鮮人による研究はとりたてて顧みられることがなかった。わずかに、60年代初めの朝鮮で、申采浩の歴史研究が検討されたぐらいであった。
言うならば、解放後(戦後)の朝鮮や日本において、植民地期の史学史的検討の対象から朝鮮人研究者は除かれていたのである。
しかし、4.19人民蜂起以降、南朝鮮の歴史学界において現実認識に裏うちされた歴史学が求められるようになっていく。その契機となったのが、「思想界」の特集「韓国史を見る眼」(63年2月号)であった。そこでは植民地史観を克服する新しい「民族史学」の樹立が提唱され、その歴史的淵源を植民地期の朝鮮人史学者による朝鮮史研究に求めるようになった。これによって従来の史学史的検討は、ややもすれば日本人の朝鮮史研究だけに偏っていた傾向に対して、朝鮮人の朝鮮史研究をも問題とする必要性が提起され、こうして総体としての両者の把握を通しての朝鮮史の主体的な把握が可能となった。

白南雲
現在の通説によると、植民地期の朝鮮人史学者は史学史的にほぼ「三つの潮流」に分けることができ、それらは解放前後期に「新民族主義史学」に集大成されたといわれている。
-「三つの潮流」
-「新民族主義史学」
解放前後期に孫晋泰らにより提唱され、「朝鮮民族史概論」(1948年)として結実する。民族の団結と、またそのための均等が何よりも必要であるという切実な現在的関心の下に、民族を観念的なものではなく、より具体的なものとして把握しようとするところから、民族内部の階級的親和と団結を主張している点に何よりも特徴がある。

申采浩の墓地(忠清北道)
しかし、研究の具体的な面においてはどうかというと以下のような異なる論点が提起される。
これらの論点については次回で検討したい。
(康成銀、朝鮮大学校教授)