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〈朝鮮史から民族を考える 19〉「植民地近代(性)」論の問題点(上)

共通の歴史認識模索へ

1930年頃の映画撮影の現場

1930年頃の映画撮影の現場

「植民地近代(性)」論

1990年代後半に入って、「収奪論」と「植民地近代化」論の両者に共通する「近代」肯定論的な性格(すなわち「収奪論」は内在的な「近代化」「植民地近代化」論は外来的な「近代化」をそれぞれ強調)を止揚すべきだとする研究動向が現れるようになった。それが今日、「植民地近代(性)」論と呼ばれている一連の研究である。代表的な研究者としては、並木真人、松本武祝、尹海東、林志弦らがいるが、一つのグループを形成したわけでなく、研究者によっては、そのスタンスに違いがあるようである。

「植民地近代(性)」論は、植民地状況の中で形成される近代というものの性格=近代性を問い直そうとする議論である。換言すれば、植民地主義と近代性を表裏一体のものとして捉え、近代性そのもののもつ権力性や抑圧的、差別的な諸側面に注目する視座であるといえる。「植民地近代化」論がマクロな統計数値や制度的側面、企業の動向など、主に経済史研究の領域に属するのに対して、「植民地近代(性)」論はその状況を生きた人々のミクロで日常的な事象に焦点をあてる社会史研究を領域としている。朝鮮における「植民地的近代(性)」研究の論点はおよそ以下のとおりである。

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