
鄭招をはじめ「七政算」の編さん者を伝える「世宗実録」
1405年、文科に及第した鄭招は、2年後には司諫院正6品左正言となり、世宗の父である第3代・太宗王に仕えていた。その年の5月は酷い日照りとなり、太宗は臣下に自身に徳がないためかと尋ねた。他の官吏たちは口を閉ざす中、鄭招は税に関する新しい法が民を苦しめているからだと直言した。鄭招の性格を物語るが、その後、しばらくは彼に関する記録が見当たらないことから、むしろこれが災いして閑職に追いやられたのかもしれない。そんな彼が華々しく再登場するのは、1418年に第4代王となった世宗の経筵官となってからである。
経筵官とは、王に経書を講論する官吏で、いわば学問の師である。もともと、才能豊かで易経、書経などいわゆる六経に深く通じていた鄭招への世宗の信任は厚く、彼が司諫院の正3品に昇進したあとも例外的に経筵官を兼任させた。
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