近代の東アジアにおいて、日本は帝国主義的自立をとげ、朝鮮はほかならぬその日本の植民地となり、中国は帝国主義諸国の半植民地になった。こうした三国の分岐が生じた原因については、現在まで多くの論争が交わされている。
講座派の服部之総は、幕末期の日本社会は「厳密な意味でのマニュファクチュア時代の端緒的段階」であったのに対し、中国・朝鮮などはそれより遅れた発展段階にあり、1860年代の経済水準の差が三国の近代における両極分解化の主因であるとした(いわゆる幕末厳マニュ段階説)。しかしその後、朝鮮・中国での「資本主義萌芽問題」の研究が進み、開国前夜の日・朝・中三国の経済はほぼ同一水準にあったことが実証されることによって、服部のシェーマには相当の難点があることが明らかになった。
こうした問題状況のなかで、服部の一国史的比較史観を批判し、世界史的視点(関係史的視点)から東アジア三国相互の関係をとらえかえそうとしたのが遠山茂樹であった。そこでは、1860年代から80年代までの外圧は弛緩期にあり、日・中両国の歴史発展も同質の水準にあったが、三国の分岐が最終的に確定したのは日清戦争の後であるとされた。
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