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〈人物で見る朝鮮科学史 45〉世宗とその時代(4)

世宗の右腕、李蕆

甲寅字による印刷本

甲寅字による印刷本

科学技術を国家的プロジェクトとして推進するためには、優れた科学者・技術者とともに、彼らを組織動員する人物が必要となる。世宗の右腕となってその役割を果たした人、それが李蕆である。李蕆は高麗末期の名門の出身で、彼の母は当時権勢を誇った廉興邦の妹である。ところが、その横暴さは目にあまり、禑王は崔瀅、李成桂らとともにその勢力を一掃、李蕆の父もその時に処刑されている。幼い李蕆は母と弟とともに山中に逃れたが、幸いしばらくして王朝交代が起こり李蕆も再び世に出る機会を得た。

17歳の時に別将に任命された李蕆は、1402年22歳の時に武科に、1410年には重試験に及第し、その後、軍人として対馬を拠点とした倭寇の平定や北方の女真族の撃退において大きな功績を上げる一方、世宗の科学技術政策を推進するテクノクラートとしての道を歩んだ。とくに、漢城の保守や簡儀台の構築など世宗時代の大きな工事の多くは李蕆が監督遂行している。

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