
オルテリウス「世界の舞台」の日本地図
1402年に製作された「混一彊里歴代国都之図」は、当時の最新の地理的情報を総合した東洋のみならず世界的にもっとも水準の高い地図であった。ただし、今日の地図からみればヨーロッパやアフリカの形状がかなり異なるという印象をもつが、それが当時の限界ともいえる。この地図は朝鮮から見た世界であるが、では、逆に当時のヨーロッパの地図では朝鮮をどのように描いていたのだろうか?
近代的な地図が発達する以前の中世ヨーロッパでは、キリスト教の世界認識を反映したTO地図が普及していた。それは、丸い円のなかにT型で表した川と地中海を描き、その上にアジア、下の左半分にヨーロッパ、右半分にアフリカを描いたもので、実際の地理とはかけ離れたものであった。そこに転機がおこるのは、天動説を確立したことで知られるプトレマイオスの著書「地理学」に収められている地図の発見によってである。その地図は経緯線を用いており、これが大航海時代の地図にも影響を与えた。
*************************************
※この続きは会員になれば閲覧できるようになります。
会員の方は、右か下にある「ログイン」項目にてログインしてください。
会員登録ご希望の方は、「新規会員登録」にてご登録をお願いします。
大変申し訳ございませんが、2013年4月20日までに会員登録をしていただいた方も、再度ご登録をお願いいたします。
パスワードを忘れた場合、「会員パスワード紛失窓口フォーム」をご覧ください。
*************************************