1607年、家康の要請を受け入れて第1次通信使が派遣された。主な任務は国書を交わすことで、両国の信を通い合わせることであった。なお1次から3次までは連行された朝鮮人を連れ帰ることに努力が注がれた。
徳川政権はすべての藩に対し連行者を帰すように命じたが、才能ある学者や技術のある陶磁工たちは、各藩で彼らを隠して帰そうとしなかった。
帰りたくても、年月が過ぎ、結婚して子どものできた人々は泣く泣く帰るのをあきらめざるをえなかった。
徳川政権は通信使を国をあげてもてなした。
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