露日戦争が終結した3カ月後の1905年11月9日、伊藤博文がソウルに現れ、天皇の「勅書」を高宗に渡した。朝鮮が日本の「保護」を受け入れるなら、王室の「権威と安寧を守る」とする内容だった。王室の存続しか関心のなかった高宗は受け入れを表明した。
高宗の態度に満足した伊藤博文は、同15日に「乙巳5条約」の締結を迫った。さすがの高宗も外交権はく奪の項目に驚き、その判断を内閣に一任した。
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