鉄原洋酒工場で酒樽配達員として働いていた父は、1941年9月のある日、悪質な日本人監督と争ったことが「罪」となり、郡警察署に連行されて拷問を受け、釈放から2日目に亡くなった。母は私を含む4人の息子たちを思って死ぬに死にきれず、女手一つでやっと生計を立てていた。母は、そんな中でも金を少しずつ貯めて私を小学校に送り44年4月に卒業を迎えた。
その年の8月、私は郡警察から翌朝9時までに警察署に出頭しろとの「呼出令」を受けた。訳のわからないまま朝飯も食べず警察署に行くと、同年代の少年が10人ほど集まっていた。署長は私たちを集め、「お前たちは、天皇陛下のために技術も学び金も稼げる場所に行く。これからはこの警官の言うとおりにしろ」と言った。
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