私の一家は、代々咸鏡南道北青郡リャンガリで暮らしてきた。6歳の年、叔父が3.1運動に参加したという理由で一家の全財産が差し押さえられた。このため私の家族は食べられなくなり、離れ離れになってしまった。しかし、翌年故郷で河川工事が行われたのを機に家族が集まり、工事の仕事をしながら細々と暮らしていた。工事が終わった後、両親は小作農として働き、私は牛追いをしながら稼いだ金で小学校に通い卒業した。
卒業後は清津製鉄所の溶鉱炉建設に強制動員された。工事現場では毎日2~3人の朝鮮青年たちが命を落とした。当時、日本人は少年たちを「徴用」で連行し、一定の歳になると「徴兵」していった。
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