私が8歳の時、祖母と両親、8人の兄妹は口に糊することすら難しかったため、故郷を離れ慈江道慈城郡に移り住んだ。しかし、ここでも両親は貧農として働くのが精一杯で生活は相変わらず苦しかった。私も普通学校を卒業すると同時に両親の農作業を手伝った。
1943年3月のある日、軍需工場で働く前田という日本人が「日本に行けば勉強もできるし、技術も習うことができる」と、一緒に日本に行こうと言うのだった。私は家が心配なので行けないと言ったが、日本人たちは前もって面所在地で戸籍を調べ、日本に連行する対象者のリストを作成していたので、逃れようがなかった。
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