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〈朝鮮近代史点描 12〉義兵闘争の展開

Q:日本公使による明成皇后(閔妃)虐殺の結果、成立した親日政権は、次々に改革案を出したといいますが、それはどうなったのでしょう。

A:それが問題です。日本人によって国母明成皇后が惨殺されたという衝撃的なニュースは、日本人に対する国民の憤怒を呼び起こしました。

そうした雰囲気の中で、新しく改編された金弘集内閣は、新しく赴任してきた日本公使と日本人顧問官が強要する「改革」を押し進めるほかなかったのです。

内閣は、国王が親露政策に転換する(1896年2月)までの170日間に、140余件の法令を乱発するのですが、その中には小学校令、旧暦をやめ太陽暦にするなどの法令が含まれていましたが、とにかく日本の強要のもとに一朝にして永い習慣を破り捨てることに対する反発が強く働いていました。

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