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〈人物で見る日本の朝鮮観〉片山潜

2004年11月10日 00:00 文化・歴史

片山潜(1859~1933)は、明治の初期社会主義の先達の一人であり、後にはコミンテルン(第3インター)の中央委員となり、国際共産主義運動の指導部にあって各国の共産主義運動に大きな影響を与えた人物として知られている。その片山の朝鮮認識や朝鮮観に関する問題を見てみたい。

片山は1859(安政6)年、現在の岡山県久米郡久米南町で、父国平、母まちの次男として生れた。家は代々本百姓で庄屋であった。5歳で儒者大村綾夫に漢文を習いはじめた。1872(明治5)年、村に小学校が出来、ここに通ったが、通学百余日にして止めた。学資がなく、母を助けて主として農業に従事し、貧農の苦難をなめる。1880(明治13)年、21歳で岡山師範学校に入学するも、さらに高い学問を志して東京に出る。東京では印刷所の文選士になったり、岡麓門の塾の塾僕になったりして、働きつつ学ぶ生活がつづく。

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