私の大学の学生たちで、1960年6月15日夜、安保条約の強行採決に抗議するデモに参加していた東大文学部生、樺美智子(かんば・みちこ)さんが機動隊に殺されたことを知っている人はほとんどいない。デモ隊が国会南通用門を破って構内に突入、機動隊と衝突。私の恩師、白井厚慶大名誉教授は講義で、毎年6月15日に国会南通用門での献花を続けていると話していたのを今も覚えている。この事件の後、朝日新聞の提唱で新聞7社が「暴力を排し議会主義を守れ」とう共同宣言を発表し、それが安保闘争の鎮静化と新条約承認に道を開いた。
樺さんの死から32年後の92年6月15日、自衛隊を海外に派兵することを可能にした国連平和維持活動協力(PKO)法が、当時の社会党の反対を押し切って成立した。
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