三国時代が終わりを告げたのは、覇権を争う新羅が唐帝国と連合し、660年に百済を、668年に高句麗を滅亡させたからである。
しかし、新羅は大同江以南を統合しただけで、北部では旧高句麗の遺民たちが大祚栄(テ・ジョヨン)将軍に率いられ、果敢な反唐闘争を繰り広げていた。
後期新羅王朝の事大主義的病癖は、自国の王名を中国式に変えた事実に象徴的に現れる。
すなわち新羅は始祖・朴赫居世居西干以来、第23代からは中国式に法興王、真興王、真平王などと称した。
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