では古代朝鮮三国の支配層は、中国との政治的関係と経済・文化的交流をつうじて、まさに奔流のごとく流入する漢字文化をいかに咀嚼(そしゃく)し、どのように活用したのであろうか。
これについて注目されるのは、「三国史記」に見えるつぎの2つの記事である。
まず百済本紀・近肖古(クンソゴ)王30(375)年条の、「百済は開闢(かいびゃく)以来、文字をもって事柄を記すことができなかったが、ここ(この王代)に至って博士・高興(コフン)を得、初めて『書記』を編纂した」という記事。
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