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南北赤十字会談で帰還決まる

非転向長期囚の喜び「孫の顔が見たい」、「故郷で家族の世話に」

南北自由往来を

6月30日、金剛山で行われた南北赤十字会談で、非転向長期囚全員を9月初めに帰還させるとの合意が発表されても、ソウルにある「マンナメチプ(出会いの家)」で暮らす長期囚たちは喜びを表には出さなかった。しばらく時間が経った後も、期待と緊張の入り交じった表情を崩さなかった。

「確か1972年の7.4南北共同声明発表の翌日、脳卒中で倒れた。そのせいで今も右半身が不自由だが、あまりに嬉しすぎるとこんなことも起こる」(金ソッキョンさん、86)

金ソンミョンさん(75)も「いい。本当にいいことだ」という短い言葉だけで、それ以上は続けようとしない。

「末っ子がもう42歳になっているはず。4男2女がいるから、孫だけでも20人は下らないだろう」と、それまでは感情をまったく表に出そうとしなかった金ソッキョンさんが重い口を開いた。

「妻は私より1歳上だが、当時体重が70キロ以上あった頑丈なやつだったから、きっと生きているはずだ」

南北首脳会談の期間中には、夢に末息子が出てきたという。家族の話をする彼の表情は、いつしか笑顔に変わっていた。

いつの間にか50年

「夢のようだ。まだ信じられない」と喜びを隠さないのは、光州で暮らす非転向長期囚、金永泰さん(70)だ。「生まれたばかりの子供を置いてちょっと出かけてくるつもりだったのに、いつの間に50年が経っていた。一度も見たことのない孫をいちばん見たい」と語る。

4年前の脳卒中がたたって、最近、再び入院した金仁瑞さん(75)も「一生の望みがかなうなんて」と喜ぶ。車椅子なしには生活できないほど健康を害しており、故郷の家族に世話をしてもらえるという期待に胸を膨らませている。でも「光州の香りと温情は忘れられない」という彼。北に旅立つ日、大切に育ててきた鉢植えと無等山の土を持っていくつもりだ。

獄死した同僚偲ぶ

大田にいる咸世煥さん(69)も「もう少し早ければという思いがないわけではないが、やっぱり胸が騒ぐ」と感激している。故郷は黄海道。19歳だった1950年、志願入隊して故郷を後にした日から50年ぶりに、白髪頭で故郷に帰ることになった。

「もう少し早く南北首脳が膝を交えていれば民族の痛みもその分減っただろう。独房にぶちこまれて希望もなく、飢えて息絶えていった同僚たちをただ見殺しにするしかなかった34年2ヵ月の獄中生活がいちばんつらかった」と振り返る。

「統一の日が早く来て、南北分断によって家族、親戚と分かれて暮らす人たちの痛みが解消されるよう願っている」と言いながら、自分自身、そして同僚たちを支えてくれた民家協と非転向長期囚送還推進委員会などの団体に感謝するという言葉を忘れなかった。(ハンギョレ1日付より抄訳)

(朝鮮新報)